故ジョージナオペ紹介(ハワイ州・人間国宝)


「アンクルは我が家の”おじいちゃん”でした。」 


 

私(ピリアロハ石橋)とアンクルとの出会いは1985年。

ハワイで開催された移民百年祭にマリア・ニイノ先生のハーラウが

フラを踊りに訪れ、当時フラを踊っていなかった私が

お手伝いする為に同行しました。

 

お祭り会場の舞台袖で、雑務に追われていた私に

アンクルは近づいてきてこう言いました。

 

「そんなことしてないで、舞台で踊ったほうが楽しいぞお」。

当時の私は、アンクルが偉いクムだと知りませんでした。

 

でもアンクルがステージで踊るのを観て、こんな素晴らしい踊りなら、

私も踊りたいと思い、それでニイノ先生からフラを習い始めました。

 

また、日本に来たアンクルは、

私の二人の子供「国彦と淳子」にも

「小遣いをあげるから、お前たちもフラを踊れ」と言い、

本当にお小遣いを渡してフラを教えて頂きました。

 

おかげさまで国彦と淳子の2人とも、

私のよきサポーターとして成長してくれました。

 

イシバシ フラ スタジオを開いた後も、アンクルとの師弟関係は続き、

10年ほど前には来日のたびに、わたしたちのマンションに滞在することに。

長い時は2ヶ月滞在することもありました。

 

アンクルは料理が得意でした。

私が帰ると、”お前たち、ハワイアン・フードが恋しいだろう?って、

ロミロミ・サーモンやポキとか、ずらりとテーブルに並んでる

買い物も全部、アンクルは自分でしたんです。

トレードマークの派手な帽子を被って、近所の商店街を歩くのですから、

地元じゃ、”派手なおじいちゃん”って有名人(笑)。

今でも時々、お店の方に”おじいちゃんどうしてる?”って聞かれて(しんみり)。。

 

30年近い家族ぐるみの付き合いで、

アンクルが私たち石橋家に教えてくれたのはフラだけではありません。

 

1990年代に、アンクルに”フラだけでなく、自分たちの伝統文化も大事にしろ”と

戒められたのをきっかけに、私は江戸時代に住吉踊りから伝わったと言われる

”かっぽれ”も学び始め、名取になりました。

 

石橋家にとって、アンクルはフラの師匠、

それに頑固だけどやさしいおじいちゃんでした。

 

ピリアロハ 石橋隆子